「夏が来て僕等」が見せてくれるもの
最近、夏のような気候の日も増えてきましたね。
わたしが夏を感じると自然と口ずさんでしまうあのフレーズ、「♪夏が来て僕等~」…
それは虫の音を聞いたとき、生ぬるい風のふく午後、夕暮れの帰り道…突然に。
イントロの♪テテテレーンからもう頭の中に流れてきます、すぅーっと。
そしてわたしは居ても立ってもいられなくなりCDをかけます。
イントロが流れます、マーシーの声が聴こえます。
するとどうでしょう、そこにいるわたしはもう、夏休みの小学生です。
伸びた草の中に立ち、アイスをかじり、秘密の冒険に出かけるのです。
マーシーの後に続いて。
…心の中で輝く子供時代の夏、それは普段大人として生きているとなかなか触れることのないものですが、マーシーの歌を聴いているとあの頃の夏と今の夏は地続きであるように思えるんです。
夢や幻のようでありながら、確かな身体感覚としてわたしのなかに残った夏。
それをマーシーは思い出させてくれます。
また、この曲がただの懐古ソングにならないのは、マーシーの夏がいつまでも続くもの…小学生の頃の彼にとってもこの曲を歌った27歳くらいの彼にとっても、同じように輝くものだからなんじゃないかと思います。
そして、58歳になった今のマーシーも夏に対し変わらない希望と憧憬をもっているから少年のような真摯さのある歌を作れるんでしょうね。
なんだか「ロックンロールは永遠に終わらない夏だ」って感じがします。
かっこいいです(*ノωノ)
曲が終わると、行かないでー!的な寂しさがやってくるんですが、次の曲「クレヨン」がすかさず流れてくれるのでまた真島ノスタルジーな世界に戻れて心安らげます(笑)
やっぱり「夏のぬけがら」はすごいですね。